☆このページは作者の気まぐれな文集です。詩はこの後出てくるかも。詩は絵の気分転換になってます。





★地球は友達、宇宙は友達 ( ジギー語録より )


 環境問題など一人で解決できやしない
悩んだってしょうがない、なるようにしかならないんだからさ。
すべては、気持ちの持ちようさ。前向きに、いい方に考えるのさ。

でも一人一人の努力と積み重ねが、世の中を良くするんだろうね。
なにしろ、ハッピーマインドが、ハッピーワールドを作るんだ。



★いつまでも、トンボ採りとバッタ採りが、できますように。




※この絵は心を健康にする絵ですぅ。よーく見といて下さい。(^o^)







★愛の女神現る?


 だめだめ、なっちょらん、ぶちこわせ!
こんな詩、こんな絵、こんなHP!
びくびくすんな、やりたいようにやれ!

 こうして、僕がヤケを起こした時、貴女はいつも現れる。

そして、こう言うのです。
「自分の進歩を、自分の創作の過程を愛せないのですか?」
「自分を大切に、愛せないのですか、あなたは?」

  わかった、わかったよ、愛ですよね・・・また手なづけられたか。
でも、貴女は一体誰ですか?スカーレットですか?マリアンですか?
もったいつけないで、姿を見せて下さいよ!

うわーまぶしい!オーラが、後光が〜貴女は一体?・・
 あれれ、な〜んだウルトラの母かよ。
 まったく、バッタ顔だな。


     (END)




★僕のお気に入りで一息

(暴力発言は慎むべきが常識。その常識を打ち破れ!)






★ 熱く語ろう、爆弾発言 ★


 不景気だろうが、失業だろうが、関係ない。
人間は、生まれながらのヒッピーだ、自然児だ!
地位も名誉もいるわけない!既成の概念を打ち破れ!

ライク・ア・ローリングストーンズ!
人生はもっとウキウキはずみ、転がりゆくもの。
ひとっ所で、腐るな、病むな。
青年よ、共に荒野をゆこう。
60年代、70年代のスピリッツよ、復活せよ。

急げ、急げ、革命だ。ジョンレノンを思い出せ。
やりたい事をやれ、やりたい事のみやろう。
大胆に、勇敢に、やりたい事は、全部やれ!







★"ヒッピー"や"ローリングストーン"がわからない人のために ★
( チョコット解説 →1960年からの音楽の流れ )


(僕もよくわからないんだけど、知ってる事だけ話します)



 アメリカの1950年代、作家のW.バロウズ、J.ケルアックらの影響で、
ビート・ジェネレーションが生まれ、英国のモッズと共に台頭しました。
彼らの放浪癖の流れをくんだのが、60年代のヒッピーでしょう。

 1961年2月、ニューヨークの地下鉄の構内にネグラを構える仲間入りをし、まさに「風に吹かれて」を体験しながら、 グリニッチ・ヴィレッジのコーヒーハウスとかで、歌わせてもらったりして、注目されて チャンスをつかんだボブディランは、戦争を反対し、自由を求める若者の気持ちを代弁して、
1963年「FREEWHEELIN’BOB DYLAN」を出す。
フォーク界のバイブルとなるこのアルバムは、「風に吹かれて」「ワンモアチャンス」 「DOWN THE HIGHWAY」「くよくよするなよ」 など傑作を生む。戦争、平和、自由を考え悩む若者に多大な影響を与えたのです。
(おまけ:日本でも新宿駅ライブを泉谷しげる氏がやったりと・・・)
この成功こそ、アメリカンドリームかと思いきや・・
DYLANの曲は、ヒッピーやライダーのお気に入りとなる。
まさに60年代はベトナム戦争の時代、ビートルズやローリングストーンズの時代に突入するわけです。
★そんな影響下の1965年、ディランが、フォークロックと銘打った「ライクアローリングストーンズ」を発表。ヒッピームーブメントのテーマ曲となる。

(^^ゞ(僕はヒッピーは決して好きじゃない。自由とは人生というステージをマットウすることであり、 薬や幻想やセックスに逃げる事じゃない、ステージから降りる事じゃないと思うからです。)

○ただ、いい面もあったはず。ビートルズのサージェントペパー、イエローサブマリンなどなど聴けば、イマジンの自由さというものは、あったはず。
自由人として既成の価値を吹き飛ばし、新しい感覚をたたきつけた点。
裸足のフリーマン的なサイケなイメージが創出した作品もありました。


 そうこうして、アメリカ音楽界の一大イベント「ウッドストック」ライブへとつながって行く・・・(WHOのサマータイムブルースもよかった。)

ここに、ロックの申し子、天才ギタリストのジミ・ヘンドリクスが登場する!
この英国の超アイドルは、アメリカでも「イージーライダー」で人気絶頂になりつつあった。 あのギターサウンドには頭と体がぶっ飛んだ。
しかし、1970年9月の"流星"のごとき、28才の早過ぎる"死"が、多くの若者を悲しませる。

1969年オノヨーコと結婚したジョンレノンが、1971年に「イマジン」を発表する。(ラブ&ピース)ダブルベッド上のパフォーマンスも話題を呼んだ。

★そんな中、1972年、イギリスのグラムロックの宇宙人として登場した、デビッドボーイ。偶然じゃない、奴は用意周到だった。
革命的な造形ロックと僕が言いたい宇宙オペラの快作「ジギースターダスト」を発表する。
おそらく、ジミヘンドリクスの死を悼んで、ジミをジギーに変え、
宇宙的レベルの天才ギタリストのjimiのことを歌ったものだと、思われる。
jimiは死んだが、あの星で、ジギーとして生まれ変わり、すごいテクを披露したんだ・・・ って感じです。
このアルバムには、ドラマがあり、ライブは劇的な演出に富んでいた。

しかし、彼のジギー時代は短すぎた。彼はロックからソウル(ディスコ音楽)に転向する。ファンはドギマギし、ド肝を抜かれた・・・以下略・・・・

☆ボーイがブライアンENO&ロバートFrippらと音楽を模索していた頃、 ×1977年英国では、セックスピストルズ(ベースのシドは21才で急逝)らのパンクロックが全盛でした。(英国の良心を敵に回して、よくやるよ。)

◎アメリカでは、映画「サタデーナイトフィーバー」が上映され、空前のディスコブームになった。ビージーズの曲は最高でした。

(☆1978〜79年、あの山下達郎でさえ、ディスコでウケルための音楽を追求、作曲したほどです。※僕は達郎ファンなのです!)

その後の80年代ディスコから〜キムタク式♪パラパラ♪(クラブ)(かれし)までの流れは、僕が言うまでもないでしょう・・・・・



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